セキスイハイムpresents

アーツ&クラフツ商会

【放送】
毎月 第一および第三月曜日
夜11:00~11:30
ナビゲータ/坂井真紀

スペシャルCM  第3回 兵庫県・西宮市の家 篇〜集う家

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「時を経ても、続く価値を。」――セキスイハイムが家づくりに込めるこのメッセージを確かめるべく、
実際に長く住んでいるオーナーのお宅を訪問し、時を経たからこそ感じるその価値を問う、
というスペシャルCMシリーズ第3弾。

港町・神戸からほど近い西宮市の高台にある閑静な住宅街。
この町に暮らす田中計男さん・カメノさんご夫妻は、1996年1月、セキスイハイムの家――鉄骨2階建て――を建てた。
それから20年を経た今、住まいはどうなっているのだろう。
制作された2分間のスペシャルCMでは伝え切れなかったオーナーの想いを伺った。

スペシャルCM

スペシャルCM第3回兵庫県・西宮市の家 篇〜集う家

[家づくりのきっかけ]大震災による自宅の倒壊から、新たな家づくりへ

「私の代で家を建てることは
考えてもいませんでしたが、
阪神・淡路大震災(1995年1月)で
家が倒壊してしまったため、
急に新しい家を建てることになったわけです。
それまで暮らしていた家は、
“家づくり”が大好きだった父が、
増築を繰り返した末にできたもの。
そんな家が自慢だった父親が亡くなって
3年後に震災が起こり、
“親父やご先祖のためにも、
恥ずかしくない家をつくらなければ”
という想いから、私たちの家づくりははじまりました」

そう語るのはオーナーの田中計男さん。
とにかく家を建てなければ、ということで
さまざまな住宅メーカーの住宅展示場を訪問。
幾多ある選択肢のなかから選んだのは、
田中さんが「惚れた」と語るセキスイハイムだった。

その家とは、当時の最高級モデル、
タイル貼りの住宅「グロワール(※1)」。
工場生産のユニット工法による高品質住宅でありながら、
デザイン性も高く外観も美しい、当時人気のモデルだった。

田中さんが“惚れた”このグロワールの家は、
今から20年前の1996年1月、
まさに震災の1年後に完成した。

※1
「ハイム グロワール」:1982年発売。
建築家・山下和正をデザイン監修に起用して
商品化されたモデル。
生産性に重きをおいていたユニット工法プレハブが、
デザイン性に軸足をシフトする転換点に位置づけられる商品。

[選んだ理由]熱心に比較検討して、楽しんだ家づくり

「敷地内に仮住まいを建てて暮らしていたので、
毎日家づくりを楽しみながら見守っていました」と、
家が建つまでの日々を振り返る田中さんご夫妻。
自宅が倒壊した後、家について熱心に比較検討して選んだ
セキスイハイムの家。
念願の家が完成したときは、心から感動したという。

それから20年。ご夫妻は、今何を思うのか。
完成の喜びから、暮らす喜びへ――。
この家を選んだ理由を改めて語っていただいた。

選んだ理由 その1:地震に耐える家を
震災で自宅が倒壊してしまったご夫妻にとって、
新たな家に求める条件が「地震に耐える家」だったことは
当然のことだろう。

以前の和風の家は屋根の瓦がとても大きく重たく、
それが震災で1階が潰れた理由でもある。
屋根が軽く、頑丈なボックスラーメン構造(※2)を擁し、
しかもタイル張りの外観が美しい
“セキスイハイムの鉄骨住宅”は
理想の家だった。

約50年間鉄鋼関係の仕事に従事していた
鉄骨の“プロ”を自称する計男さんは言う。
「この家には頑丈な鉄骨が入っているので
非常に安心です」。

※2
「ボックスラーメン構造」:
高層ビルにも採用されており、
地震エネルギーを分散し外力から建物を守る構造。
 
選んだ理由 その2:工場品質
「私も鉄鋼関係に勤務して
工場での生産に携わっていたので、
屋外でつくるよりも“工場でつくる”ほうが
品質は確かなものになることを熟知していました」。
計男さんからは、
話を聞けば聞くほど、鉄骨の質やボルトの締め方、
溶接方法、タイルの経年変化など、
いかに細かなチェックを経て選んだか、
というエピソードが次々に出てくる。

奥様も「すでにできていた基礎の上に、
わずか1日でユニットが乗せられ完成したので、
不思議な感じもしたけれど安心して見ていました」
と振り返った。
 
選んだ理由 その3:希望の間取り
家づくりにおいて奥様がこだわったのは、
「人が集える広さ」である。

「うちは学生寮をやっていて、
大学生たちが毎月食事会を行います。
だからたくさんの人が集まる、
にぎやかで明るい家にしたかったんです」。

モデルハウスで見たものよりも広い玄関や
リビング、ダイニング、キッチンと、
窓が広く光が差し込む明るい空間を希望した。

そうしたリクエストに全力で応えたのが
当時の営業担当、宮川だった。
そんな宮川を田中さんは
「ともに良い家をつくろうと頑張ってくれた」
と評価し、その交流は約20年を経過した今も続いている。

資料画像

[時を経て、感じること]安心して人が集える広さのある家

家を“育てる”ことが大好きだったという父の跡を継ぎ、
急遽新しい家づくりに挑んだ田中さん。

「家のパンフレットを見て、いいな! と思った。
担当の宮川さんがいろいろ力になってくれて、
それなりの費用はかかったけど、
長持ちするだろうと思って決めました」。

20年を経過しても、
当時の様子を昨日のことのように話してくれる田中さん。
改めて現在の住み心地について尋ねると、
「とっても快適で毎日が楽しい。私たちは20年歳を重ねているが、
家はまったくと言っていいほど古びていません」とのこと。

“一生の買い物”をして20年。
長い時を経た田中さんご夫妻が得たものとは……。

寮の学生たちは家賃を納めにくるときなどに、
「こんにちは」とリビングに上がってくる。
玄関先で済むような用事であっても、
当たり前のようにこの家のなかに入ってくる。しかも自然に。
たまたま奥様がキッチンで食事をつくっていれば、
そのまま食べて行くこともある。
今回、CMの打ち合わせで事前に伺った際も、
ちゃんこ鍋パーティーをやるからと
午後から学生たちがキッチンで仕込みをしていた。
不思議なことに、
訪れた人がみな家族の一員のようになってしまう家なのだ。
こうした心温まる交流こそ、
田中ご夫妻が新しい家に求めていたものではないだろうか。

「最高の毎日です」。

ご夫妻の明るい笑顔が印象的だった。

写真:平山 ジロウ

宮川達也

田中邸営業担当
宮川達也

「田中さまご家族はこの地に何代も住まわれていて、“良い家を建てたい”という想いが
とても強かったのを覚えています。住宅展示場に来られた際には、鉄骨の実物をお見せし、
メッキや溶接の方法などを詳しく説明しました。そのときは存じ上げなかったのですが、
ご主人は鉄鋼関係に従事されていた方で、そのひじょうに厳しい目線で品質をチェックいただいたうえで
セキスイハイムを選択していただいたとのことでした。
一般的な家づくりにおいては、柱・梁などをバラで現場まで運び、そこで組み立てます。
屋外での作業の精度は職人の腕にも左右されますし、雨が降れば部材は濡れます。
外の現場で組み立てられた自動車には不安がありますよね。
それと同じで、ものづくりにおいて “きっちり組み立てること”はひじょうに大事なこと。
震災後、職人が不足した状態でも間違いのない品質のものが現場に運ばれ、1日で組み上げられました。
当時の自分は若造で、とにかく一生懸命やりましたが、田中さまのような方に認めていただいたことは、
とても自信になりました。20年経って、携わらせていただいた家に再びこうしてお呼びいただき、
幸せに暮らしていらっしゃる様子を見られて本当に嬉しく思います」。
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